『ヤング≒アダルト』〜映画感想文〜
※この記事はちょっとだけネタバレしています
『ヤング≒アダルト』(2012)
上映時間 90分
監督 ジェイソン・ライトマン 脚本 ディアブロ・コーディ
「JUNO ジュノ」の監督ジェイソン・ライトマン&脚本家ディアブロ・コーディのコンビが、主演にアカデミー賞女優シャーリーズ・セロンを迎え、再タッグを組んだコメディドラマ。児童小説家のメイビスは、夫と離婚後すぐに故郷ミネソタに帰ってくる。そこで、かつての恋人バディに再会し復縁しようとするが、バディにはすでに妻子がいて……。共演は「ウォッチメン」のパトリック・ウィルソン。(以上、映画.comより)
予告編
高飛車勘違い女のイタすぎる等身大コメディ
MADMAXでのフュリオサが記憶に新しいシャーリーズセロン主演のコメディ映画。
「JUNO」「マイレージ、マイライフ」など、毎回良作を作っているジェイソンライトマン監督作品の中でも、本作は僕が生涯ベスト級に好きな作品でして、めちゃくちゃ落ち込んだ時に見返しては号泣、という作品であります。(個人的すぎる文章)
ジェイソンライトマン監督といえば、長編デビュー作「サンキュー・スモーキング」以降、世間的にはあまり良いとされていない境遇の人物を主人公に置いた作品を作ってきています。(「とらわれて夏」「ステイ・コネクテッド」は未見です、、、)
その設定というのはトラジコメディと呼ばれるジャンルと非常に相性がいい。
要は、「本人が自分の境遇をなんとか打開、もしくは自己正当化しようと四苦八苦している姿を客観的に見て笑う」という構造にしやすい設定です。
それを客観的な視点をなるべく排し、悲劇的に見せたのが以前ポストした「フォックス・キャッチャー」だったと思います。
本作の主人公メイビスは、あらすじには「児童小説家」とありますが、実際にはヤングアダルト小説(日本でいうラノベ的なもの)のゴーストライターをしています。
しかもどうやら、自分の華々しい過去や現在の心情を元にして小説を書いているというのが冒頭で示されます。
パッとしない生活、イイ男とも出会えない、おまけに仕事の小説も打ち切られそう。
そんな中、学生時代に付き合っていた元彼から結婚式の招待状が届き、、、というところから物語が始まります。
元彼との思い出のカセットテープと犬ととびっきりの勝負服をバッグに詰めて故郷に帰るというオープニングシーンなのですがこれが最高でして。
元彼との思い出の曲を何回も繰り返し聞いてアゲていく感じとか苦笑いしながらも、「うわぁやったことある、、、」みたいに感じますし、ってか華々しいあの頃を思い出すためだけにその曲を聴くとかやったことないですか!?(笑)
と、同時にそれは「カセットテープ」という過去の産物であり、しかもそっちのほうが現在より美しく動き続けている、という見事なオープニングシーンだったと思います。
コメディ的な演出に編集と劇伴も相俟って、前半はかなりテンポよく進むのでワクワクしながらこのどうしようもない主人公の行動を見守っていけます。
で、故郷に帰ったところでもう1人の主人公とも言える同級生のマット(パットン・オズワルド)と出会います。
デブでオタクな彼はメイビスとは逆に学生時代いじめられていて、下半身が不自由になっています。マットもまた高校時代の(最悪の)思い出に囚われている人間です。
つまりこの2人は表裏一体の存在として描かれていて、マットからの視点を通じて観客はメイビスのしょうもなさと切実さを理解していくことになります。
酔った勢いで自分と元彼が運命(笑)で繋がっていることを話すメイビスに、マットは元彼が既婚者だからその考えは良くないと、至極真っ当(笑)な意見を言います。で、おそらくメイビス自身も半分それをわかっているからこそマットと打ち解けて行きます。
その後もメイビスとマットが2人で会話するシーンがあるのですが、メイビスが彼に気を許して話している様子、そしてこの2人の価値観が故郷の町の人間と合わないというのが示されて行きます。たとえそれが元彼であったとしても。
メイビスが元彼のバディ(パトリック・ウィルソン)に再会するシーンで、バディはマットのことを悪びれる様子もなく「あぁ、ゲイのあいつね」みたいに言うのですが、そこでメイビスは2回も「彼はゲイじゃないわよ」と言います。
象徴的に使われる学生時代の思い出の「大人サイダー」をバディが飲まないという行動から、バディは大人になってメイビスはまだ子供のままということが示されるのと同時に、自ら価値観や環境になんの疑問も持たず大人になったバディの無神経さを描いた印象的なシーンだと思います。
それが物語的によく表れているのが、バディが奥さんのアマチュアバンドのライブにメイビスを誘うシーンです。
元彼に誘われたこともあり、学生ノリでバディとテキーラを煽って上機嫌のメイビス(笑)
いざバンドの演奏が始まると奥さんがバディへの思いを語り、、、というシーンなんですが、いくらなんでもメイビスには酷すぎる仕打ちです。バディも嬉しそうにノリノリで演奏を楽しんでるし(笑)
もちろん本人たちに悪気はないし、むしろメイビスが勝手にショックを受けるシーンなんですが、バディ、お前せめてちょっと気まずい感じ出しとけや!!となりました(笑)
そんな調子で、故郷に住んでいる登場人物は、メイビスやマットのように”ある価値観"に適応できなかった人たちの人生"に対して少しだけ無神経であることが描写されます。
両親はメイビスがアルコール中毒かもしれないと相談を持ちかけても「自分の子供に限ってそんなことはないだろう」と相手にしなかったり、悪気はないけれどもメイビスが離婚した時の元夫の話をしたり。
しかし、メイビスはまだ諦めません(笑) バディとの再会で止まっていた執筆も進み、華々しい人生を取り戻そうとしています。
勘違いっぷりも進み、Macy’s(日本でいうイオン的なスーパー)で「マークジェイコブスはないの??」とか本屋で「サインいる??」とか言って相変わらず調子に乗っています。
そんな状態なので、その後マットとの森での会話で最後通告的に言われる「大人になれよ」という言葉に耳を貸さぬまま、クライマックスに向かいます。
クライマックス、バディ夫妻の子供の命名式に招待されたメイビスですが、これが目も当てられない展開になります。
はっきり言ってメイビスの馬鹿っぷりが極に達するシーンなのですが、そこで明かされるメイビスのある真相を聞くと、やっぱり周囲の人間はちょっと無神経すぎるだろうと。
もちろんメイビスは最低なやつです。自分の人生を肯定するために他人の人生を壊そうとしているダメな人です。
ですが、彼女が狂ったのにも理由がなくはないなと思います。
だからこそ、その後の惨めすぎるベッドシーンの切実さと、そこで示される「客観的に見たメイビスの過去」にハッとさせられます。(あとこれは余談ですが、シャーリーズセロンのヌーブラが最高です。)
そしてラスト、色々あって心身ズタボロのメイビスですが、主人公がストレートに改心はしないというジェイソンライトマン節が効いてて最高のシーンです(笑) 爆笑必至なので、これは是非見て頂きたいシーンですね。
でも、この懲りない女っぷりが逆に清々しくて、「もうお前はそれでいいよ!そのまま行けよ!」と元気をもらえるシーンでもあります。
「あの時こうしてれば」という後悔や「ちゃんと環境に適応できる大人」になれないことから現在の自分を肯定したくて華々しい思い出を引きずったりすることは、たとえそれが馬鹿げた、子供じみたことだと半分わかっていても、あると思います。
しかしその自覚があればこその成長であり、ラストに写される”あるモノ”が象徴する「ポンコツだけどまだ動ける」というシーンに胸を打たれます。
冒頭で書いた通り、本作は僕の生涯ベスト級作品なわけですが、これは当時の自分の状況からメイビスが他人事に思えなくて、ガンガンに感情移入してしまったからなんですね。
でも、メイビスに多少なりとも共感する部分は誰しもあると思いますし、なにより現実では絶対に関わりたくないような最低の主人公の人生に感動してしまう、というのはフィクションならではの素晴らしい魅力だと思います。
ポスターとか予告編から想像するポップなコメディではないですし、主人公のダメさっぷりに呆れる人もいるかと思いますが、笑えて、泣けて、場合によっては胸に刺さりまくる素晴らしい作品だと思います!
是非、ご鑑賞ください!オススメです!!
エレン・ペイジが最高!
メイビスとマットの関係から連想しました。