チャンタの映画感想ブログ

新作・旧作映画のレビューブログです。ネタバレはできるだけ避けています。

『花筐/HANAGATAMI』〜映画感想文〜 【大林宣彦監督 追悼】

「備忘録的に映画の感想を残したい!」「書くことで整理できるし、映画について考えてる時が楽しい!」「誰も映画の話聞いてくれないから思う存分吐き出したい!」「あわよくばたくさんの人に読んでもらって承認欲求を満たしたい!」、、、

 

という風に始めたこの映画ブログ。

「ちょっと休もう」「この映画は別に僕が書かなくても、、、」とかなにかと言い訳を見つけてはサボりにサボり、気づけば元号が変わり、転職をし、4年の月日が経ってました(笑)

 

ブログを書かなくなってからも相変わらず映画を見ていて、その辺は「年間ベスト!」みたいな感じでまとめて書こうと思っているのですが。(何しろ細かいとこまで覚えていないので…)

 

さて、どうでもいい前置きはこの辺までにして、、、

 

このブログを再開するにあたり、何を1本目にしようかと思っていたところ、

今年の4月10日に、僕の最も敬愛する日本映画の巨匠、大林宣彦監督の訃報というものがありまして、、、

 

本当にショックで悲しくてその夜は寝られなかったりして。

さらに、新型コロナウイルスの影響で色んな映画が公開延期になったことで、

本来であれば亡くなった当日の4月10日に公開予定だった監督の新作、「海辺の映画館 −キネマの玉手箱」も公開延期に。

 

この機会にと、大林監督の映画を見返していたところに、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の公開日が7月31日(金)に決定したというニュースがやってきまして!

youtu.be

ということで、ブログ再開の1本目の映画は大林監督の直近の作品にして、監督節が炸裂しまくった作品、「花筐/HANAGATAMI」にしたいと思った次第であります。

 

※この記事はちょっとだけネタバレしています

 『花筐/HANAGATAMI』(2017)

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上映時間 169分

監督:大林宣彦 脚本:大林宣彦 桂千穂

名匠・大林宣彦監督が、1977年のデビュー作「HOUSE ハウス」より以前に書き上げていた幻の脚本を映画化し、「この空の花」「野のなななのか」に続く戦争3部作の最終章として撮り上げた青春群像劇。檀一雄の純文学「花筐」を原作に、戦争の足音が迫る時代を懸命に生きる若者たちの友情や恋を赤裸々に描き出す。1941年、春。佐賀県唐津市の叔母のもとに身を寄せている17歳の俊彦は、アポロ神のような鵜飼、虚無僧のような吉良、お調子者の阿蘇ら個性豊かな学友たちと共に「勇気を試す冒険」に興じる日々を送っていた。肺病を患う従妹・美那に思いを寄せる俊彦だったが、その一方で女友達のあきねや千歳と青春を謳歌している。そんな彼らの日常は、いつしか恐ろしい戦争の渦に飲み込まれていき……。大林監督作の常連俳優・窪塚俊介が俊彦役で主演を務め、俊彦が憧れを抱く美少年・鵜飼役を「無限の住人」の満島真之介、ヒロイン・美那役を「江ノ島プリズム」の矢作穂香がそれぞれ演じる。(以上、映画.comより)

 

予告編

www.youtube.com

 

 

 

 

極彩色に彩られた“戦前の若者たち”の青春

40年の月日を経て大林監督が我々に問いかける“自由と平和”

大林全部のせのコラージュアート的、ドラキュラメロドラマ! 

 

 

2017年の暮れに公開された本作。

僕は映画館と、翌年の尾道映画祭で2回鑑賞していたのですが、つい先日改めてブルーレイで再見しまして、改めて「169分間、圧倒されっぱなし」の作品でした。

 

「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」と合わせて一般的に“戦争三部作”の最後と位置づけされる本作ですが、大林監督は商業映画デビュー作で、国内外問わずカルト映画として愛されている「HOUSE」の前に構想していた作品でして。

なんなら本当は「花筐」を作ろうとしていたところで、当時の東宝から「ジョーズみたいな企画をやりませんか」と言われたらしく、そこで「HOUSE」を撮ったとインタビューで語っておられます。

 「野のなななのか」の僕の感想はこちら↓

heinoken.hatenablog.com

 

そうやってできた「HOUSE」から「花筐」まで、色んなジャンルの映画がありますが、どの映画も一貫した大林監督の哲学が刻み込まれております。

その辺りに関しては、僕なりに大林作品のポイントをまとめたこちらの記事を読んでいただきたく思います。

heinoken.hatenablog.com

で、本作の話に戻しますと、本作はそれまでの作品と比べても間違いなく「大林全部のせ!」の作品であります!(「海辺の映画館〜」はさらにそうなんでしょうけど笑)

 

まず冒頭、原作者の檀一雄の詩から始まりタイトルが出るのですが、これまんま「時をかける少女」の絵面です。

時かけ」ファンの僕としては「うわー時かけだー」と喜ぶところなんですが。

 

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主人公の榊山窪塚俊介が小説「花筐」の読み始め、と思ったら白黒映像で榊山が崖に立っている場面に変わり、「お飛び、お飛び」という字幕が出て、祠にお参りしてたら白い蛇が出てきて、榊山が学校へ走って行き、、、というオープニング。

 

このオープニングがものすごいスピード感と情報量なのですが、これがほぼ全編続きます(笑)

このところの大林映画は、特にオープニングからのスピードと情報量がすごいので、ここで観客を後の大円団に向けて慣れさせる効果があるんだと思います(笑)

でも、僕がアッと思ったのはこの冒頭に、「遠眼鏡をさかさまにして、覗いてごらん。……そこいらの景色が、まるで遠い昔の物語のようだ。なつかしい!?とんでもない。取り返しのつかぬ思いに胸が、張り裂ける。」という字幕が被さるのですが、もちろんこれは本作全体を端的に表した言葉なんですが、同時に全ての大林映画に込められた監督の思いなのかもと見返して思いました。

 

「序」「破」「急」で構成された本作ですが、プロローグのモノクロ映像がパァっとカラーに開けていくところから物語は始まり、主人公たちの榊山、鵜飼満島真之介、吉良長塚圭史阿蘇柄本時生、ヒロインとなる美那矢作穂香、圭子常盤貴子)、千歳門脇麦あきね、山崎紘菜が出会っていきます。

 

大林映画はいつもそうなのですが、まぁこの8人の魅力的なこと。

無垢すぎような榊山、体つきも姿勢も勇ましい鵜飼、インテリが故に世間に対して斜に構えてる吉良、道化を体現する阿蘇。どれも大林さんの中にあるものの擬人化なんだけど、こういう部分って、憧れも含めて自分にもあるよなぁって思います(笑)

榊山と吉良のおしゃべり、鵜飼と榊山の冒険、阿蘇と榊山のふざけ合い。

4人がそれぞれキャッキャしてるのを見ると、あぁ若いっていいなぁって本当に思うわけです(笑)

 

で、大林映画といえばヒロイン達の素晴らしさ。みんなマジで好き(突然の語彙力低下)

病気で余命少ない中で必死に生きようとする美那、ミステリアスな圭子、どこか収まりどころがない千歳、元気ハツラツなあきね

個人的にはあきね、を演じる山崎紘菜さんにやられてしまったのですが、本当にみんな魅力的です。

 

美那圭子が最初に登場するお屋敷のシーンなんかは本当に美しいシーンでして。

美那が吐く血の赤と白いドレス、美那の血を吸い出す圭子がまるで夢のような耽美な映像で描かれるのですが、この辺は監督の自主制作時代の傑作「EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ」のタッチです。

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ってな感じで冒頭からこの映画は「ドラキュラ映画」として明確に打ち出されております。

 

「血」のモチーフはその後も繰り返し出てきますが、「血を流す」というのは「死」のイメージと同時に「生命」のイメージでもある訳です。

そして言わずもがな、その血を吸う美しきドラキュラは圭子です。

彼女は戦地に行った夫に先立たれ、彼の血の繋がった妹である美那と家を守る存在。

これには「HOUSE」で描かれた南田洋子さん演じるおばちゃまと同じ悲哀と不穏さを感じます。

 

まぁそんなこんなで、この8人がいろんな形で交錯しながら、戦争への道を辿る日本の空気の中でそれぞれに複雑な恋愛感情を持ったりするメロドラマであり、必死に青春を謳歌しようするお話なのです。(ざっくりまとめ)

 

で、観ていて感じるのは、大林さんが本当に美しいアートとして描いている世界が、同時に本当に恐ろしくもあるということ。

 

“戦争3部作”ってご覧になるとわかるんですけど、近作になればなるほど観終わった後、すごく恐ろしい気持ちになるんです。

「この空の花〜」なんかは最終的に多幸感に包まれて終わるんですけど、「野のなななのか」は温かい気持ちになる一方で、かなり不穏な空気を色濃くした作品でもあります。

 

そこへきて本作「花筐」は本当に「切迫」してるんですよね。

もうすぐそこだぞって。

大林さんがインタビューなどで言及されている、「戦争が 廊下の奥に 立つていた」という渡辺白泉の俳句のまんまの切迫感というか。

 

クライマックスで描かれる「唐津くんち」異様な狂乱と熱量を持って押し寄せる映像は、当時の戦前の空気が、まさにお祭りの熱狂のようなものだったのかと感じさせるものだと思いました。

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その狂乱の中で登場人物達は、なす術もないまま自分たちなりの生き方を実践しようとしました。

その覚悟を決めるシーンが、洋館でのダンスシーンなのかなと。

それぞれが自分はどのスタンスで生きていくかということを表明していくような場面に僕は感じました。

踊る曲は、美しきヴァンパイア常盤貴子の選曲で、「ノスフェラトゥ 死人のための狂詩曲」

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鵜飼は、初めて「唐津くんち」のお祭りの曳山を曳かなかった。

それは軍馬として戦地へ送られる馬を解放し、自分も同じように魂を自由にしてやるんだという抵抗。

あきねは自分の居場所、唐津の町娘として、権力に負けないという思いから生まれた唐津くんち」の精神に則り、ひたむきに自分のやるべきことを全うすることで、生き抜きました。

吉良と千歳は、拠り所がなく自分の居場所を必死に探し求めた結果、吉良はすべてを破壊することで、千歳は孤独になることで、自由という居場所を得ようとしました。

圭子は、亡き夫への思いや、美那を守ること(夫の血を生かすこと)に縛られ、若くして劇中で描かれる「唐津の母」になった自分を、鵜飼という「溢れんばかりの生(性)」と接することで、亡き夫と(美那と)繋がり、解放しました。

そして美那は懸命に生き続ける姿を以って、周囲の人間を戦争の空気の中で美しく生かし、その命を終えました。

 

では、榊山は?

 

母に言われた「お飛び、お飛び、卑怯者」の言葉を胸に、“勇気”とは何かを探し続けた榊山ですが、彼は吉良から「君は勇気がある」と言われます。また鵜飼からは「生き残るのは君だけだろうね」と言われます。

母に向けて「母さん、今なら戦争にだって行けるよ」と手紙を書き、尊敬する父の話の中で「こんな立派な人たちが戦争を始めるんだよね」と話す榊山にとっての“勇気”とはなんだったのでしょうか? 

敗戦後の70年を生きた榊山は、美那のお墓参りに行き、美那の遺書を思い出しながら墓を抱いて「無念だ」と咽び泣きます。

“生き残ってしまった”後悔と断念。

これほどの悲劇が、実際に戦争によって引き起こされたんだと。

 

 

さて、ここまでが「花筐」の主人公の榊山という青年の物語です。

 

ラスト、冒頭に「花筐」を読み始めた榊山が観客に向けてこう話しかけてきます。

「僕は果たして飛んだのか、飛ばなかったのか。飛ぶとはどういうことか。今の時代を生きる僕たちにとっても。」

「さぁ君は飛べるだろうか。この僕は…」

 

映画はここで終わり、エンドロールが流れるのですが、観客に問いかけてくる榊山の言う「この僕」とは、その後ろに写った椅子を見れば一目瞭然。

 

劇場パンフレットの中で、大林監督は榊山のことを「今の日本の大人たちに何を言っても通じぬだろうという断念からくる意識的ノンポリだと語っています。

 

ご自身でも「意識的ノンポリ」であってしまったという大林監督ですが、「今を生きる僕たち」にはそうではなく、自分らしく生きられるための自由と平和の在り方を、その手繰り寄せ方を、私たちに問いかける作品を作ったんだと、本作を観て僕は感じました。

 

本当は、脇を固める役者陣の素晴らしさ(個人的には池畑慎之介さんに泣いた)とか、冒頭に大林印の『A MOVIE』が出ない件についてとか、「過去を保存する装置」としての蓄音機とカメラの意味とか、山崎紘菜さんのキュートさとか、色々書きたいことがあったんですが、気がついたらこんなに長くなってしまって…(文章能力の無さ)

まぁでも、だいぶ本作のキモは言語化できたと思いますし、だいぶ自分も満足したし…

 

大林映画は百聞は一見にしかずです!!

どれだけ説明しても観たらぶっ飛ばされるのが大林映画!!

絶対に他の作家でこんな映画は観たことないと断言できる1本なので、まだ観ていない方は、7月31日(金)公開の「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の公開に向けての予習として、必見です!!

 

そして改めて、

大林宣彦監督、本当にありがとうございました。

 

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原作読むと、よくこれを3時間近い映画に…ってなります。

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