『呪怨 呪いの家』〜映画感想文〜
※この記事はちょっとだけネタバレしています。
『呪怨 呪いの家』(2020)
NETFLIX 全6話
監督:三宅唱
1988年、心霊研究家の小田島(荒川良々)はオカルト番組で共演した新人タレント、はるか(黒島結菜)が経験した怪現象に興味を引かれる。同じ頃、あるトラブルによって転校を余儀なくされた女子高生の聖美(里々佳)は級友たちに誘われ、“猫屋敷”と呼ばれる空き家を肝試し気分で訪れることに。6年後、ソーシャルワーカーの有安(倉科カナ)は虐待されている子どもを救おうと、必死の行動を起こす。まったく接点のなかった彼らは一軒の家を中心に引き寄せられていく。彼らを呪いの連鎖で結び付けたその家の恐るべき真実とは!?
予告編
”Jホラーの異端児『呪怨』”とは何だったのか。
高橋洋が三宅唱という若い才能を得て完成形となった「恐怖」の具現化と再構築!
凄惨な暴力と陰鬱な時代に呪われた人たちが触れる”魔”なるものを描く新しくも原点回帰な”恐怖映画”
7月3日にNETFILIXで配信された、「呪怨」シリーズの最新作にして初めてのドラマシリーズ。
さんざっぱら映画関係者が「超怖い!」と話題になっていたので、ホラー好きとしましては超超楽しみに待っていたわけであります。
そんなこんなで配信された16:00ジャストから、しっかりぶっ続けで鑑賞しました。
「〜映画感想文〜」と銘打って書いているこのブログでドラマシリーズを取り上げるのはどうかとも思うのですが、本作はほとんど3時間の映画であると僕は思うので、あえて「映画感想文」と書いても間違いではないと思っています(暴論)
なので、これから鑑賞される方は是非、6話ぶっ続けで鑑賞することをオススメします!!
で、6話ぶっ続けで観た僕の感想から言いますと、「吐き気がするような禍々しさが、具体的な画からビシバシ入ってきて、マジで最悪(褒めてます)、、、」といった感じでした。
『呪怨 呪いの家』。これはヤバい。禍々しさに吐きそうになる。ゴア描写の陰惨さも素晴らしい。この時代はまだ赤ちゃんほどの年齢でリアルタイムでは無かったけど各事件は知っていて、こういう空気感だったのだろうか。すぐにでも"あちら側"と繋がってしまう感じ。そしてそれは何も解決していない。
— チャンタ (@chantake_cinema) 2020年7月3日
いや、ほんとに怖いんですよ。。。
幽霊的な怖さもあるので、相変わらず鑑賞後は、部屋の隅っことか、ちょっとしたスキマとか、鏡越しの廊下とかに思わず意識を向けてしまう感じもありますし。
殺人描写も「グロい!!」って感じより、その殺人に至る動機と感情の部分がしっかり描かれるので、実はそんなにすごいゴア描写ではないけど、しっかりと残虐性が伝わってくる感じで、それが炸裂する4話なんかは本当に吐き気が、、、
その後、時代背景のこととか、「映画秘宝8月号」の「恐怖『呪怨』大全」(必読!!これをかなり参照して書いてます!)を読んだりして、色々考えているうちに、さらにその忌まわしい感じが真に迫ってくるというような作品だと思いました。
だから『呪怨』というエンタメホラーの代名詞をベースに、そしてその空気感を表現できる三宅唱監督という才能を使って、Jホラーで実験し続けてきた高橋洋氏が結構ハイコンテクストな作品を作ったなぁという印象です。
で、なぜ本作、『呪怨 呪いの家』がそういう作品になったのかについて書く上で、必要なのが、「Jホラー史における『呪怨』という作品の位置付け」と「高橋洋という人がホラー表現を通して何を描こうとしていたか」という2点だと思うのですが、、、
まず、1点目の「Jホラー史における『呪怨』という作品の位置付け」という部分ですが、これについてはJホラー史ということで、いろんな文献とかメディアで語られているので、「小中理論」等で検索していただいたらすぐ出てきます!(投げやり)
本当に簡単に要約すると小中理論は「霊をはっきり見せない」「霊は喋らない」「理由を説明しない」と言ったいわゆる「Jホラー」を作るためのメソッドですね。
高橋洋さんや、黒沢清さんはこの理論を基にいろんな実験をしていったわけであります。
黒沢清作品のテイストについてはコチラで書いています。
で、めちゃめちゃざっくりした流れだけ追うと、、、
①1988年「心霊実話」の形式を導入した『邪願霊』と1991年OV『本当にあった怖い話 第二夜』の『夏の体育館』で、鶴田法男と小中千昭が心霊表現を確立。
②高橋洋、黒沢清などがこれを「小中理論」と言い継承、発展させていく。
③1996年『女優霊』、1997年『CURE』で「Jホラー表現」が世界的に評価、確立される。
④1998年『リング』が大ヒット。「Jホラー表現」の到達点を迎える。※これが「Jホラー」の臨界点
⑤1999年 OV版『呪怨』誕生
まぁ改めて並べると、この時代の「Jホラー表現」のスピード感と強烈さって物凄いなぁと。
で、こういった「Jホラー」の変遷の中で生まれた『呪怨』なのですが、極端に言ってしまえば『呪怨』はそれまで築き上げてきた「Jホラー表現」を解体してしまった作品なんですね。
先述した「小中理論」が「見せない」メソッドだったのに対し、『呪怨』はガンガン見せていきますよね(笑)声も出すし。(『リング』もラストでそれに挑戦したし、『女優霊』も笑う幽霊を出したけど、『呪怨』はより見せる方向だった)
これは監督の清水崇さんが、80年代の海外のスプラッターホラーを観て、そういうのを志向したためでもあるのですが。
こうやって、「見える幽霊」としてスターになった貞子、伽倻子、俊雄は「モンスター」になりその後のホラーアイコンとして世界中で消費されていくわけです。
ただ、伽倻子や俊雄がホラーアイコン化した今でも、OV版『呪怨』が怖い作品として受け止められているのは、それなりの理由がもちろんあるわけで。
まず、『呪怨』の構成の面です。時系列シャッフルが『呪怨』の基本的な形式なんですが、これが、腑に落ちるためのパズル構造ではなくて、物語の全体像を把握することで、出口のない閉じた物語に感じられる構造になっています。
要は「全部わかったけど、結局逃げ場ないじゃん」感を出していて、それがめっちゃ不吉な印象を残しているんだと思います。
さらに『呪怨』がそれまでの「心霊実話」と大きく違ったのが、「現実的な厭な感じ」に端を発した物語であるということです。
そもそも伽倻子や俊雄は、虐待や殺人といった凄惨な暴力の被害者なわけです。
で、そういった想像を絶する体験をしてしまった人は、想像を絶する存在になってしまう。そして、その存在が一方的に強烈な執念を持ってこちらに迫ってくる。
まぁ想像するだに怖いじゃないですか、、、
で、そういう存在になるってことは、そういう世界があるってことなんですよ。
人間の生きている現実のすぐそばに、どうにもできない邪悪なものがあって、それに触れてしまうことで、現実の厭な感じがある、みたいな。
ボロボロの荒れた家、何か汚いシミ、事件現場に僕たちが感じる厭な感じは、そういう世界を想像してしまうことで感じる「恐怖」なんだと思います。
さぁ、長々とOV版『呪怨』の立ち位置と何が怖かったのかを書いてきましたが、ようやくNETFLIX版『呪怨』の話に戻ってまいりました(笑)
本作『呪怨 呪いの家』の怖さ、禍々しさはまさに、OV版『呪怨』の怖さと共通するものであります。
この作品の怖さって、すでに色んなところで言われている通り、ある特定の怖い幽霊がいて、そいつがめっちゃ怖いみたいな怖さではないわけです。
ホラーというジャンル映画の持つお化け屋敷的な側面を一切排除し、画面の隅々にある「なんか厭な感じ」がジワジワと効いてきて、要所要所で起きる怖いこと、悲惨なことがお腹にドスンと暗いものを落とす、みたいな怖さを狙って作られた作品だと思います。
ネットの感想とかでも、「怖いというより、厭な映画。気持ち悪い。」みたいな感想が出てくるのも納得ですし、僕もそんな感じでした(笑)
ここで言及しておきたいのが、三宅唱監督の手腕ですね!
不勉強ながら過去作を一本も見たことがない、、、のであまりどうこう言えないのですが、とにかく画作りが上手という印象でした。
照明の入れ方とか、人物の”奥”を意識させる画角とか、本人はホラー苦手ということですがここまでクラシックな感じに撮れるってなかなかだと思います!
特に1話のはるか(黒島結菜)の婚約者である深澤(井之脇海)が呪怨ハウスで「屋根裏の女」に遭遇するシークエンスなんかは見事でした!
ボロボロでホコリまみれの家の中、カーテンの隙間から入る陽の光、ゆっくり深澤を追うカメラから、徐々に画面全体が暗く寒色に包まれていき、、、という感じで、ほんと黒沢清さんがやりそうな感じでめっちゃ好みでした!
あと、単純に”時系列シャッフル”という『呪怨』のフォーマットを、「呪いの家では時空が歪んでしまう」という発想に変えたのも斬新でした。
時間を超えて、悲劇同士が連鎖的に繋がっていくという「止められない絶望と出口のなさ」が非常に厭な感じでしたし、呪怨してるなーと思いました。
三宅さんの見事な画面作りの中で登場人物を演じる俳優さんもよかった!
なんかすっとぼけた感じ(失礼)なんですけど、良い人だけど、ひたすらに「怖い話」に興味があって、倫理的感が若干ずれている感じもさせる目つきがよかったです。
だからかわからないんですけど、劇中の登場人物の中で、小田島が怖がるシーンが一番恐ろしいんですよね。普段ビビリじゃない人が本気でビビってる時のヤバイ感じというか、、、
で、ヒロインのはるか演じる黒島結菜さん。2016年の日テレ版「時をかける少女」でキラキラした感じが好きでした!(個人的感想)
ホラーお決まりの絶叫クイーンの位置付け、でありながら謎を解明して、呪いの連鎖を解こうとする力強さもあるキャラクターを好演されていました!
そして、まぁこの作品の白眉とも言える聖美演じる里々香さん!!
本当に凄かったです!全身から滲み出る負のエネルギー!女子高生時代の演技も素晴らしかったですが、3話以降の彼女の全てを諦めた感じとか、見事でしたし。
ただ、演出も含めて凄かったのは5話で迎える彼女の顛末の演技。苦しすぎて思わず泣いてしまったのですが、、、こういう「罪悪感と後悔」から生きてる時間が止まってしまう描写に弱いので(クロユリ団地とか、、、)
スタッフ陣、俳優陣が全力で”負”の側面を画面に叩きつけてくるので、まぁ受ける嫌悪感もすごくてですね。冒頭でも書きましたが、4話の殺人描写なんか本当に目を覆いたくなるような感触のある映像で、、、
しかもこれが、実際に1988年に起きた「名古屋妊婦切り裂き事件」の再現だったりしてもう最悪なわけです。
色んなところで触れられている部分ですが、この作品には1988年から1997年に実際に起きた日本の猟奇殺人事件が背景として出てきます。
「連続幼女誘拐殺人事件」「女子高生監禁殺人コンクリ詰め事件」「神戸連続児童殺傷事件」、、加えて「松本サリン事件」「阪神・淡路大震災」など、その時代を象徴するモチーフが出てきます。
こういう事件の中に『呪怨 呪いの家』で起きた出来事があった。という設定にすることで、より物語がリアルに感じられるという作りにしてあります。
僕は、当時小学生にも満たない年齢だったので、肌感覚ではわからないんですが、その時代の空気ってこういうピリピリした空気だったのかなぁと。
劇中(何話か失念、、、)不動産屋と刑事の会話で、「なぜあなたはあの家に入ったのに無事なんですか」という刑事の問いに、不動産屋がお茶を濁すシーンがありました。
”呪い”とか”邪悪なもの”の存在から目を背けること。見て見ぬ振り。
その結果が「呪いの家」であり、押し入れや屋根裏で叫び続ける”彼女たち”の正体なのかなと、そのシーンを見て僕は感じました。
その土地の特徴や、時代の空気が人を破滅させることってあるんだと思います。
それが同時多発的に起きる時、私たちの現実と別にある”何か邪悪なもの”が顔を出す感じが。
で、そういうことを描いてきた作家が高橋洋という作家なわけであります。ここで冒頭に書いた「高橋洋という人がホラー表現を通して何を描こうとしていたか」という部分について、少しばかり書いていきたいと思います。
『女優霊』『リング』の脚本家でおなじみですが、近年の『恐怖』『霊的ボリシェヴィキ』では、いわゆる「Jホラー的」ではない怖さの表現を追求してこられたと思います。
で、その中で『恐怖』では「”見てはいけないもの”を見てしまうこと」を描き、『霊的ボリシェヴィキ』では「あの世と繋がること」を表現した映画でした。
ぶっちゃけ『恐怖』は難しすぎてよくわからなかった(失礼)印象なんですが『霊的ボリシェヴィキ』を観た時に、登場人物が行う”降霊の儀式”を観ながらこっちまで参加してる気分になってめっちゃ怖くて、、、
その時に「高橋洋はこの”なんか繋がっちゃった”っていう怖い感じを表現したいのか!」となった次第であります。
その意味で本作『呪怨 呪いの家』は、凄惨で忌々しい物語に、実際の事件を織り込むことで”なんか繋がっちゃった”という感覚を練り上げ、「呪いの家」として具現化することに成功した作品なのかなと思いました。
これは、小中理論をもとに”映画表現としての”いわゆる「Jホラー表現」とは違い、観た人に直接「恐怖という感覚」を引き出すような表現なんだと。これこそ高橋洋さんが描こうとしていた「恐怖」なのかと思いました。
さらに本作はやはりOV版『呪怨』と同様に、現在の「Jホラー」の解体を目指した作品だと思います。
高橋洋さんが『恐怖』の時に「次に行くにはJホラーという型を壊さないといけない」「これをもってJホラーに終結宣言が出せるのではないか」ということをおっしゃっていました。
その後の『霊的ボリシェヴィキ』はまさにそういう作品でしたし、本作でいわゆる「Jホラー的な怖さ」を極力排除したのはそのような意図だったと思います。
で、ここまで考えてて思ったのが、これは高橋洋さんが「Jホラー黎明期に立ち返ることで、ここから新しいJホラーを再定義しよう」と思ったのではないかと。
だから時代設定がJホラーの出発点である1988年から、Jホラーが完成形となった1997年なのではないかと思うわけです。
この間に日本に起きた凄惨な事件や災害の数々、霊的な忌まわしさを感じた時代の空気、その中で生まれた「Jホラー」の表現。
それらと同時代の設定にすることで「Jホラー」が生まれた瞬間と空気、我々が肌感覚で禍々しさを感じた瞬間を現代に蘇らせ、ここから次の段階の「ニッポンのこわい物語」へ進もうということだったのではないかと思っております。
というわけで、長々と色んなことを書いてきました。
やっぱり観てから人とめっちゃ喋りたくなる作品だと思うし、非常に楽しみました!
ちゃんと最悪な気分になれるし、平成から令和に変わり、世界的に転機を迎えている今、何かこの作品と通じる空気(それともずっと存在したけど見ないふりをしていた空気)を僕は感じられる気もする作品だと思っています。
正式発表はないものの、シーズン2も製作される感じはあるので、もし製作されるのであれば次は2000年代総括かなー、そしたらもうちょっと空気感わかるなーとか思ったりして。。。
ジメジメしたこの時期に観ると、心までジメジメしてくるような最悪(傑作!)な作品ですので、ぜひぜひ6話イッキ見で鑑賞してはいかがでしょうか!!おすすめです!!
※2020.7.8 追記
最後の方で触れた「Jホラーの黎明期」と時代設定について、大変参考になって面白い記事を見つけましたのでリンク貼っておきます。