『ランボー ラスト・ブラッド』〜映画感想文〜
※この記事はちょっとだけネタバレしています。
上映時間:101分
監督:エイドリアン・グランバーグ
脚本:マシュー・シラルニック
シルベスター・スタローンの「ロッキー」に並ぶ代表作で、1982年に1作目が製作された人気アクション「ランボー」のシリーズ第5弾。グリーンベレーの戦闘エリートとして活躍していたジョン・ランボーは、いまだベトナム戦争の悪夢にさいなまれていた。ランボーは祖国アメリカへと戻り、故郷のアリゾナの牧場で古い友人のマリア、その孫娘ガブリエラとともに平穏な日々を送っていた。しかし、ガブリエラがメキシコの人身売買カルテルに拉致されたことで、ランボーの穏やかだった日常が急転する。娘のように愛していたガブリエラ救出のため、ランボーはグリーンベレーで会得したさまざまなスキルを総動員し、戦闘準備をスタートさせる。監督はメル・ギブソン主演作「キック・オーバー」を手がけたエイドリアン・グランバーグ。(以上、映画.comより)
予告編
11年ぶりの新作にして最終章!!
残酷な殺戮の先に何があるのか
“戦場”の中でしか生きられない男の哀しき叫び!
ということで、初週の土曜日に観に行ってまいりました!(色々書きあぐねた挙句、先に『呪怨 呪いの家』の記事を書いてしまうという、、、)
鑑賞したのが大手シネコンが再開して3週目ということもあって、だんだんと劇場のお客さんの入りもありまして、人が多くなることへの不安感はありつつも、映画館に人が集まっていることに嬉しくなりました!
で、なんと僕の観たお昼の回は満席!みんなどれだけランボーを待ち望んでいたのか!
一つ空けて隣の席に座ったお兄さんはランボーTシャツをきて、エンドロールが終わって明かりがついた時には感慨深げに大きく頷いていました(笑)
こういうのが映画館で映画を観る魅力だなぁと、、、
さて、「ランボー ラストブラッド」を観た僕の感想としましては「これ以上、ランボーを酷い目にあわせないで!」って感じでした(笑)
先に結論を言ってしまうと、めちゃくちゃ楽しんだし、ラスト30分の超バイオレンスも胸に熱いものがこみ上げたけど、終わってみるとそこには無常感が残る、そういう映画でした。
もっと言うと、暴力描写の過剰さや本作の構成の歪さ(後述します)が、映画としてのバランスを崩している、異常な映画だとも思いました。(褒めてます)
『ランボー ラスト・ブラッド』観賞。
— チャンタ (@chantake_cinema) 2020年6月27日
完璧なエンディングを迎えた前作から10年後のジョン・ランボーはやっぱり、まだ何も終っちゃいなかった。
色々言いたい事はありますが、怒涛の殺戮シーンに胸が熱くなる、ランボー流マカロニウエスタンでした。
思えば、「ランボー5作目の製作が決定」の一報を目にした時、「スタローンはどこまで肉体を酷使するんだ、、、」と感じましたが、、、
「クリード」シリーズで見せた、現役引退をしたロッキーを演じた人と同一人物とは思えないほど、強靭で誰も勝ち目がないと思わされるような存在感を、肉体的にも説得力を持たせるスタローンは、改めて本当にすごい俳優だなと思いました。
ここで、僕とランボーの出会いを話させてください(唐突)
映画にハマり始めた大学生の始めの頃。僕は「ロッキー」が大好きで、何かと落ち込むことがあれば「ロッキー」を思い出し、自分を奮い立たせていました。
「ロッキー」は本当に元気になれるし、いつだって背中を押してくれる素晴らしい作品なんですが、自分を奮い立たせることに疲れてしまう時期もありまして、、、
そんな時に「あー、強い奴が人をぶっ殺しまくる映画でも観たいなー」という、いわゆるランボーイメージのまま、1作目「ランボー」を鑑賞しました。
で、そこで描かれる所属部隊の中で1人生き残ってしまったベトナム帰還兵の壮絶な悲しみに、ラストで号泣。メソメソ泣きながら「何も終わっちゃいないんだ!何も!」とトラウトマン大佐に叫ぶランボーの姿を見て、自分の辛さに寄り添ってもらったような気持ちになりまして。
そんなこんなでランボーにハマり、その後の作品を鑑賞していくことになるのでした。
で、2作目「怒りの脱出」はベトナムで戦うランボーのかっこよさ、殺人シーンの斬新さが楽しい映画でしたし、3作目「怒りのアフガン」は2作目に比べて見劣りしたものの、ラストのヘリや戦車に身一つで突っ込んでいくスタローンの凄さにはシビれましたし、、、
で、何より2作目3作目のランボーは、渋々戦場に行った先で自分の正しさのために戦う人だと思うんですよ。2作目で「俺はエクスペンタブル(消耗品)だから」とボヤきますが、その自覚がありながら戦場で自分の正しいと思うことを行うのはかっこよかったんですよね。
まぁ批評とかで言われているように、アメリカ捕虜を抑留した事実はなかったこととか、ソ連の撤退、ランボーが戦ったゲリラの一部がのちにアメリカ同時多発テロにつながることとか、時代を読めていない、タイミングが悪い作品だったのは間違いありません。
で、それを経た4作目「ランボー 最後の戦場」が本当に素晴らしい傑作でして!
ミャンマー軍事政権のカレン族への迫害の苛烈さ、グロテスクさをそのまま描く描写に驚きましたし、対するランボーがそれ以上に暴力を炸裂させるクライマックスが、あまりのことに若干引くレベルだったというのも衝撃でした。
なぜ「最後の戦場」がこんなに残酷だったのか。それは、現実に起きたことがそれ以上に残虐な行為であり、また2作目3作目にヒロイックに描かれたランボーの行為が、とは言え大量殺戮であるということを見せることで、過去作への自己批評にもなっているからだと思います。
しかも、2作目3作目のように一応の「大義」すらなく、しかも今度は渋々ではなく自らの意思で戦場に乗り込むランボー。
この作品でもって自分が「戦場でしか生きる意味を見出せないこと」を自覚するという、ランボーが自分を見つける話だったわけです。
暴力を弄ぶようなことを許さず、圧倒的な暴力を見せつけ、その先に残った孤独を胸にようやく故郷に帰ったランボーの背中を延々と見せたエンドロールは完璧なエンディングで、僕は1作目の時のように号泣しました。
シリーズものを取り上げると過去作への言及に字数を割いて、なかなか本題に移れないのがこのブログの難点ですが、、、(苦笑)
あの完璧なエンディングの先、ランボーはどう暮らしていたのか。
まずオープニング。
ヒーローとしてのランボーを見せつつ、助けた命より助けられなかった命を気にするランボーに、その傷の深さが見える。
そして、4作目のラストで帰った生家で、身寄りのない娘を養子にして表向きは平穏に暮らしているランボー。
僕はまずこの場面でショックを受けたのですが、この10年間ランボーが何をしていたかというと、家の地下にトンネルを掘り続けていたという、、、
ここに至るまで苦しめられ続けた、ベトナム戦争の記憶を再現することでしかこの男は安心を得ることができないのかと、、、
1作目で「何も終わっちゃいない!何も!」と叫んだランボーは、いまだにその時間の中で止まってしまっていることにショックを受けました。
で、そこから娘のガブリエラ(イヴェット・モンレアル)が本当の父に会いにメキシコへ行くというくだりになるわけですが、楽しいシーンもいっぱいあるわけです。
娘と一緒に地下トンネル散策したり、娘がそのトンネルに友達呼んでパーティーしたり、それを父親らしく見守るランボーだったり、娘の進学祝いにペーパーナイフをプレゼントしたり、それに若干戸惑いながらもありがたく受け取る、父親に気を使える娘だったり、、、
メキシコに行くって言って祖母のマリア(アドリアナ・バラッザ)とガブリエラが喧嘩になった時も、ランボーはオロオロしてるんですよね(笑)
ただ、ガブリエラがメキシコに1人で行くことに反対する時に放つ「人は変わらない」という言葉がまぁ響く。だってランボーは変われてないんだもん。
どんなに平穏に見えても冒頭であんなものを見せられているから、その立ち直れてなさがとにかく辛いんですよね。
で、娘は黙ってメキシコへ行き、友達のジゼル(フェネッサ・ピネダ)に騙されて麻薬カルテルに売り飛ばされ、ランボーは救出に向かうというのがだいたいのあらすじです。
ちなみにジゼルは、本当に肝が座っていてランボーに凄まれても狼狽しないという、ハードな環境で生きてきただけのことはあります(友達を売り飛ばした挙句、ブレスレットまで盗むという最悪な子なんですが)
で、案の定何の装備もなくランボーは組織に乗り込んだのでボコボコにやられ、さらガブリエルを助けに来たことに苛立った組織の幹部がガブリエルをさらに酷い目にあわせるという、最悪の結果に。
このガブリエルに降りかかる悲惨なことが本当に辛くて。
麻薬漬けにされたあと、売春宿で強姦され続け、ランボーに助けられた車中で、、、という、あまりの救いのなさに「なんでこんなもん見せられなきゃならんのだ」ってなりました。
この時のランボーがガブリエルにかける言葉も悲しくて、、、
「もう終わったんだよ。悪い夢だったと思って忘れて生きればいいんだ」って言うんですよ。そっくりそのままランボーに言ってあげたいのですが、その想いも虚しく、ランボーは再び戦いに身を投じていきます。
ここまでが第一幕で、あとはランボーが怒りを爆発させるだけという二幕目。
一般的な娯楽作品は、三幕構成を取っているのですが、本作は二幕構成と言っても過言ではない構成が、この作品の歪さを顕著に表しています。
二幕目に入り、ランボーは再度組織のアジトに潜入、娘を(そしてランボーを)酷い目にあわせた幹部の首を刈り取り、組織に宣戦布告。
刈り取った首は帰りの道中にポイ捨てし、家でせっせとトラップと武器作りに励むランボー。
その後、家に乗り込んできたカルテルの連中を一網打尽にしていきます。
まぁその残酷さたるやなんですが、首が飛んだり、腕が飛んだり編集のテンポも相まってほとんど作業的とも言っていいぐらいなんですね。
過去作はケレン味のある描き方で楽しいし、あれだけアンチカタルシス的だった「最後の戦場」だって、ランボーが殺戮を始めるシーンはやっぱりケレン味たっぷりで「待ってました!」って感じだったんですが、今作はそれが無い。
ラスト、“敢えて”最後に残しておいた組織の幹部を殺すシーンなんかほとんど拷問に近いし、「お前の〇〇を引きずり出す。これが俺の痛みだ!」と宣言してから有言実行するあたりは、あまりのことに「あ、そこまでやっちゃう!?」とマジで声に出してしまいました(周りに迷惑)
まぁ敵が悪事の限りを尽くしていたので、そいつらを成敗するという意味では胸がすくんですが、もはや無敵の鬼神、戦争の権化と化したランボーのこの超バイオレンスにカタルシスは無いんですよね。
あるいは、カタルシスを感じることを拒絶させられるような感じ。
“戦場でしか生きる意味を見出せない”男の物語は、行き着くとこまで行った結果、生家をも戦場に変え(やはり彼の”ホーム”は戦場であった)、簡単に感情移入をさせてくれない、真の孤独の物語になったのだと感じました。
これまでのランボーを見ていた観客としては、孤独になっていくランボーをただただ見ているしかないという無常感が残る、そういう不思議な作品だったなぁと、鑑賞してから2週間たった今、改めて思います。
残酷なシーンが多いですし、安易な感情移入を許さない作品なので、万人向けではないかもしれないのですが、「ロッキー」シリーズと合わせてアメリカの光と陰を描き続けたシリーズで、その両方を生み出したシルヴェスター・スタローンという俳優の生き様とも重なる本作!!
シリーズ通して一度は見ておくべき作品だと思いますので、ぜひご覧ください!おすすめです!!