『ウエスト・サイド・ストーリー』~映画感想文~
※この記事はかなりネタバレしています。
『ウエスト・サイド・ストーリー』(2022)
上映時間 157分
脚本:トニー・クシュナー
スティーブン・スピルバーグ監督が、1961年にも映画化された名作ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド物語」を再び映画化。1950年代のニューヨーク。マンハッタンのウエスト・サイドには、夢や成功を求めて世界中から多くの移民が集まっていた。社会の分断の中で差別や貧困に直面した若者たちは同胞の仲間と集団をつくり、各グループは対立しあう。特にポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」は激しく敵対していた。そんな中、ジェッツの元リーダーであるトニーは、シャークスのリーダーの妹マリアと運命的な恋に落ちる。ふたりの禁断の愛は、多くの人々の運命を変えていく。「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートがトニー、オーディションで約3万人の中から選ばれた新星レイチェル・ゼグラーがマリアを演じ、61年版でアニタ役を演じたリタ・モレノも出演。「リンカーン」のトニー・クシュナーが脚本、現代アメリカのダンス界を牽引するジャスティン・ペックが振付を担当。2022年・第94回アカデミー賞では作品、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。(以上、映画.comより)
予告編
不朽の名作を現代に蘇らせる撮影と編集。
オリジナルの魂へ最大限のリスペクトを込めた
巨匠スピルバーグの圧倒的な映画力!!
去年の6月ぶりの更新となります。頑張って更新するとか言っていたのですが、継続的にブログを続けるのって難しいですね。。映画ブロガーの皆さんすごい。
さてそんな感じで今年もボチボチ更新しようと思いますが、今年最初の作品はこの作品。
製作が発表されてからずっと楽しみにしていて、延期は発表されたときは「『NWH』が優先でフォックス作品は後回しかディ〇ニーめ!」と憤っていたのですが(笑)
とにかく、ブロードウェイ・ミュージカルの大傑作であり、ミュージカル映画の金字塔である、あの『ウエスト・サイド物語』を、スティーブン・スピルバーグがリメイクすると!で、ティザー映像観るだけで傑作の予感がビンビンだったので、期待値マックスで初日の初回、そして2日後に昼の回で、計2回鑑賞してまいりました!
というわけで、鑑賞直後の僕の感想はこちら。
『ウエスト・サイド・ストーリー』観賞。
— チャンタ (@chantake_cinema) 2022年2月11日
延期前から本当に楽しみにしていて、待たされてた分の期待値も完全に超えてきた大傑作!!画作りバッキバキで躍動感のある撮影、流れるような編集に素晴らしい音楽。映画的な快楽に満ちた、これが映画と思わされる作品でした。
まぁ大絶賛どころか、ちょっと頭がおかしくなるレベルで心酔しているのですが、、、
というわけで本作について書く前に前提として、ちょっとだけ1957年のミュージカル版と1961年のロバート・ワイズ監督版についても簡単に触れておきたいと思います。
●革新的なミュージカル「ウエストサイド物語」
『ロメオとジュリエット』を現代の物語として描くという、振付家のジェローム・ロビンスのアイデアにより生まれた「ウエスト・サイド物語」。
当初は『イースト・サイド・ストーリー』というタイトルで、ロウアー・イーストサイドを舞台に、アイルランド系カトリック教徒の少年と東欧系ユダヤ教徒の少女の禁じられた恋の物語として始まったようです。
これに作詞家のスティーブン・ソンドハイム、音楽家のレナード・バーンスタイン、脚本のアーサー・ローレンツに協力を求め、このユダヤ人かつセクシャルマイノリティの4人の主要メンバーが集まり、当時の時代背景を織り込みながら完成したのが1957年版オリジナルミュージカル。
「ウエストサイド物語」以前のミュージカルは、愛と理想を描いたハッピーエンドの物語が主流だったのに対し、人種間の対立や当時の荒れた不良を描いたことが、観客にリアリティと迫力を与え、センセーショナルに受け入れられました。
さらにそれまでのミュージカルでは、ダンスと歌は分業制で、あくまでダンスは歌の添え物だったのが、ダンスを物語を描く表現へと進化させた点も、この作品の革新性でした。
その4年後、公民権運動の真っ只中に、『市民ケーン』の編集も担当したロバート・ワイズにより映画化された『ウエスト・サイド物語』は、アカデミー賞10部門受賞という偉業を成し遂げました。
いわずもがなの名作で、マイケル・ジャクソンの「Beat It」にも影響を与えたのはあまりにも有名ですが、今回こちらも観返してみて、やっぱり映画史に残る傑作だなと思いましたね、、
ダンスシーンについても、舞台的なミュージカルの見せ方をしっかりしつつ、編集で映画としての迫力とテンポ感もあって、、
それこそ、それまでのミュージカル映画、『バンド・ワゴン』なり『雨に唄えば』なりは、凄いスタジオセットで、フレッド・アステアなりジーン・ケリーが歌って踊って夢の世界に連れて行ってくれる、、、という見せ方だったのに対して、ロケ撮影ならではのリアリティや編集でダンスを細切れにして見せる。
撮影も結構トリッキーなこともしていて、特にトニーとマリアの出会いのシーンとか、周りを極端にボカしたり、幻想的な照明にして画面を抽象的にしたりして、「これぞ映画にしかできない飛躍だなぁ」とウットリしながら観てました。
で、そもそも『ウエスト・サイド物語』はその制作背景からもわかるように、非常に社会性の強い作品なのですが、個人的な印象で言うと1961年版は、曲順を大幅に変更していたり(特にキーになるのが、マリアが歌う『I Feel Pretty』の前後の曲順)、主演2人の撮り方や演出含め、ロマンスの要素を前に押し出している気がします。
なので、「”社会に引き裂かれてしまう”2人の悲恋の物語」として、あのエモーショナルなラストの演出もすごく良くて。。
改めてロバート・ワイズの凄さに驚きましたし、当時のハリウッドシステムの技術力の高さに心底感動しました。
●圧倒的な"映画力"のスピルバーグ版
前置きが長くなりましたが、ここからスピルバーグ版をどう観たかという話です。
結論から言うと、あまりにも映画としての完成度が高すぎて、圧倒されてしまったというのが、鑑賞直後の実感でしたね。
初回を観終わったあとなんか、マジで放心状態に陥ったし、しばらく本作のことしか考えたくない!と思いながら1週間過ごしました(笑)
で、何がそんなに圧倒的かというと、特に撮影と編集が素晴らしい!!
個人的に「映画を映画たらしめるのは撮影と編集だ」と常々思っているのですが、その意味で、本作はまさに”映画的”なのです。
スピルバーグの生涯のパートナーと言ってもいいヤヌス・カミンスキーによる撮影、マイケル・カーンとサラ・ブロシャーの編集がとてつもないレベルで、それだけで映画のルックとして非の打ち所がない。映画が始まった瞬間、「これは傑作なのでは」と思わされました!
まず冒頭、崩れた瓦礫を映したショットからカメラがティルトアップすると、リンカーン・センター開発のため、建物取り壊し中という看板を見せる。そのままカメラは上昇し、解体現場の広さを捉える。
次にカメラは横方向に移動、解体用クレーンの鉄球を印象的に舐めるように撮り、そのままティルトダウンして地面に迫っていくと、バンっ!と地面の扉から、ジェッツのメンバーが飛び出す。
指パッチンとともに上下左右からジェッツの面々が集まり、街へ繰り出す。
我が物顔で街を練り歩くジェッツ、彼らを疎ましそうに見る街の住人、遊び場である広場へ走り出すジェッツを横方向の動きで見せれば、画面奥に位置する広場の壁にプエルトリコ国旗の壁画を収め、ジェッツを奥に走らせる。
国旗をペンキで汚すジェッツ。ここで敵対するシャークスが登場。
故郷の国旗を汚されたシャークスと、自分たちの居場所のためにヨソ者を排除しようとするジェッツの乱闘が始まり、狭い通路での挟み撃ちという横の構図や、フェンスをよじ登るジェッツの1人をシャークスが引きずりおろす縦のアクションを確実にカメラが収める。
そこに喧嘩に割って入る銃をちらつかせた横柄な警官が現れ、市民も遠巻きに見守る・・・・
アクションとカメラワーク(しかも長回し!)で、台詞なしに全ての設定から破滅の予感までを、およそ5分で端的に示す手際の良さたるや!この冒頭のシークエンスだけで、この映画の"映画力の高さ"に圧倒されます。
まぁ全編通してこんな調子で、とてつもないことが行われているのが本作なのですが(笑)
で、やっぱりこの凄みは、さっきも名前を挙げました、撮影監督のヤヌス・カミンスキーによるものがとても大きいと思います。
基本的にフィルム撮影で"銀残し"(画面上の色は彩度を失いながらハイコントラストになる手法)を使い、荒々しい質感で画面を美しくするのが彼の撮影の特徴ですが、今回は、古典的な照明の手法を巧みに使い、全体の色彩設定を緻密に構築しており、その結果、フォーカスと照明が完璧でバッキバキに決まった美しい画面を見せてくれます。
特に序盤の見せ場「The Dance at the Gym」と「America」のシーンは誰が観ても圧巻のシーンではないでしょうか!!
青と赤の色彩、躍動感が増したダンス、デヴィッド・ニューマンの編曲とグスターボ・ドゥダメルの手でより現代的に生まれ変わった音楽。
このシークエンスとか、カメラをバンバン振り回しながら撮ってて、俳優ダンサーとカメラと照明の動線どうなってんだよってめっちゃビビりました(笑)
こういうダンスシーンで、ちゃんと全体を見せる旧作の撮り方も採用しつつ、編集と撮影は旧作より動きのある画作りをすることで、より優雅で動きのある"映画的"な画面になっていると思います。
こちらの「America」のシーンなんかは、旧作では屋上のセットで撮影されていたのが、ロケセットでの撮影になったことで、旧作と比べても非常に動きのある画面に。
特に街を練り歩きながら踊るということで、編集も流れるような編集でウットリするのですが、”その街のコミュニティ感”が増していて、50年代のニューヨークで暮らす移民たちを盛り上げるような感じがあって、素晴らしいシーンになっていたと思います。
流れるような編集でいうと中盤のクライマックスである「Quintet」のシーンの、特に凝ったこともしてないのに、タイミングだけでグイグイ持っていく編集も素晴らしかったですね!
加えて言うと、個人的にはこの「Quintet」の音楽のアレンジが非常に良いので、ぜひサントラを聴き比べてみていただけたらと思います!
こんな風に場面を挙げて褒めていくと、全カットで「ここが凄い!」というのが言えてしまうくらい、あまりにも抜かりのない映画だと思うんですよ!(笑)
で、映画史に残る圧倒的な傑作を、圧倒的な完成度でリメイクしたのはスピルバーグが『ウエスト・サイド物語』を本当に愛しているからだと思うんですね。
●スピルバーグが"今"リメイクする意義。
今回、脚本のトニー・クシュナーが旧作に比べて、主要人物の背景やドラマをよりリアルに描くことで、登場人物の行動に説得力を与えていたと感じました。
特に、シャークス側のチノが本当に素晴らしいです。最大の悲劇を引き起こしてしまう人物ですが、見ていると本当にいいやつで。なぜ彼はマリアに惚れて、なぜあの行動をとってしまうのか、彼の心情がわかる人物造形になっていており、「これは『ロミオとジュリエット』だから、この人物はこう動く」という作劇から、「ウエスト・サイド・ストーリー」を独立させる脚本だと思いました。
そう考えると、トニーとマリアのロマンスの悲劇性も、1961年とは別のベクトルでよく描けていると感じます。それは、前述した「I Feel Pretty」の前後の楽曲を、舞台版に戻したところにも関わってくることで。
旧作では決定的なことが起きる前に「I Feel Pretty」を持ってくることで、2人の"初恋のときめき"を長引かせる作りで、だからこそ「2人の悲恋」が”ロマンス”のベクトルに際立つ構成になっていると思うのですが、今回、決定的なことが起きたあとに「I Feel Pretty」を持ってくることで、”社会に引き裂かれた”というベクトルに悲壮感が増していると感じました。
思えば、撮影も彼らが"引き裂かれる"というの予感が込められていたと思っていて。
例えば2人がダンスパーティーで出会うシーン。旧作では周りの人物を完全に背景に持っていくことで奇跡的な出会いを写していたのですが、本作ではまるで荒波のようなダンサーたちを2人の前に置き、直線的に出会えないようにしている。その後、ひな壇の後ろで2人が踊るシーンでも、わざわざトニーの背が大きいことを強調して、目線が平行にならないようにしている。
そして「Tonight」のシーンも、非常階段を有効に使って(階段の下から見上げる有名な構図だけでなく、2人の目線の遮蔽物としても使っていて)、徹底的に「見えない壁」を作り上げています。
このように、人物造形を掘り下げたり、「分断された」という印象を強く押し出した演出になっているのは、もちろんスピルバーグ自身が語るように、「1957年のシャークスとジェッツの分断よりも、いま私たちが直面している分断の方が深刻」だからでしょう。
旧作ではトニーとマリアが歌う「Somewhere」を、今回はリタ・モレノ演じるバレンティーナという本作のためのキャラクターが歌います。
"私たちの場所がある
私たちのための時間と場所
手を握って
私たちはもう道半ば "
1961年版でアニータを演じたリタ・モレノが歌う「私たち」の意味を考えると、そこに重なる映像を含めて非常に重たく我々にのしかかってくる。このシーンは本作の白眉でした。
もちろん、旧作や『ロミオとジュリエット』がそうだったように、物語はこのまま悲劇へと突き進んでいきます。
なぜスピルバーグは元のまま、いやそれ以上に悲壮感を漂わせた幕引きを本作で描いたのか。
キャスティングのアイデンティティに基づく考慮。本作で最初に歌われるのが、旧作にはないスペイン語の曲であること。不良たちやマリアの子供性を強調するような演出。随所に見られる女性たちの連帯と、男性に対する冷めた目線。旧作では勝気な女の子程度に描かれていたエニィバディズにノンバイナリーのアイリスメナスを起用したこと、スペイン語の字幕をつけないという方針。
1957年のミュージカル版、1961年のロバート・ワイズ版のスピリットをしっかり継承しつつ、ここまで"現代的"にアップデートしても尚、"古いお話"のまま今の観客にこの物語を伝えたのはなぜなのか、そこにある"変わっていないもの"への警鐘と、"変わらないもの"の大切さを訴えているように感じました。
●最後に
本作には本当に圧倒されて、若干病的なまでに心酔しながらこの記事を書いていて(笑)本当は全カットを細かく書きたいところなのですが、それは難しいので、最後に俳優陣の素晴らしさについて少しばかり。
とにかく主要人物だけじゃなくて、周りのダンサーまでみんな凄くて!特にアニータ役のアリアナ・デボーズさんは、歌もダンスも演技も超素晴らしかったですね!
ほぼ皆さん初出演とは思えないポテンシャルを発揮されていて、俳優陣のスキルはもちろん、スピルバーグの演出力たるや、と思いました(笑)
主演のアンセル・エルゴートの疑惑とそれに関わる製作陣の対応については、ここでは触れませんが、まぁ鑑賞中もモヤモヤが離れなかったのは事実でした。
このような作品であれば尚更、そのモヤモヤをちゃんと抱えないといけないなとは思いますね。。
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