『映画大好きポンポさん』〜映画感想文〜
※この記事はちょっとだけネタバレしています
『映画大好きポンポさん』(2021)
上映時間 90分
監督・脚本:平尾隆之
杉谷庄吾【人間プラモ】の同名コミックを劇場アニメ化。大物映画プロデューサーの孫で自身もその才能を受け継いだポンポさんのもとで、製作アシスタントを務める映画通の青年ジーン。映画を撮ることに憧れながらも自分には無理だと諦めかけていたが、ポンポさんに15秒CMの制作を任され、映画づくりの楽しさを知る。ある日、ジーンはポンポさんから新作映画「MEISTER」の脚本を渡される。伝説の俳優マーティンの復帰作でもあるその映画に監督として指名されたのは、なんとジーンだった。ポンポさんの目にとまった新人女優ナタリーをヒロインに迎え、波乱万丈の撮影がスタートするが……。「渇き。」の清水尋也が主人公ジーン役で声優に初挑戦。新人女優ナタリーを「犬鳴村」の大谷凜香、ポンポさんをテレビアニメ「スター☆トゥインクルプリキュア」の声優・小原好美がそれぞれ演じる。監督・脚本は「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」「劇場版『空の境界』第五章 矛盾螺旋」の平尾隆之。(以上、映画.comより)
予告編
ようこそ!夢と狂気の世界へ。
なぜ私達は「映画」に魅了されてしまうのか。
「映画についての映画」の新たな傑作!
最後に映画館で映画を観たのは4月末。
「ノマドランド」「ミナリ」「パームスプリングス」「きまじめ楽団のぼんやり戦争」「BLUE /ブルー」等々、重なりすぎてブログ書けてないんですが(どっかで必ず書こう、、、)、そうこうしている内に、三度目の緊急事態宣言が。
度重なる緊急事態宣言にウンザリして、観たい映画が観れない状況がやっと緩和した先週末。
実に2ヶ月ぶりの映画館!ということで、早速観に行ってまいりました!
大きいシアターでは無いとはいえ、土曜日の朝イチの回にも関わらず8割くらいの入り具合。
いかにも映画好きって感じの人とか、アニメ好きな感じの方が多かった印象でした。
僕が初めて「ポンポさん」に触れたのは、pixivに投稿されていた、杉谷庄吾【人間プラモ】さんによる原作でした。
学生の、それこそ主人公のジーン君よろしく「現実から逃げて逃げて、ここ(映画)にしか居場所が無くて」状態だった頃に原作を読んで、本当号泣してしまいましてね(遠い目)
その時に「これは絶対、プロデューサーが目をつけて映画化されるな」と思っていたので、本当に映画化の一報を知った時は、もう期待で胸が高鳴っていたわけです。
そんな僕が、本作を観た直後の感想がこちら。
「映画大好きポンポさん」観賞
— チャンタ (@chantake_cinema) 2021年6月26日
とにかくクライマックスの熱に完全にやられてしまい、終わってから1時間経っても思い出して涙が出てしまう‥
原作を初めてpixivで読んだ時はまだ学生で"映画好きのはぐれ者"への優しい目線に涙したんですけど、映画化にあたってそこからより射程の長い目線になってたと
もうね。本当にこの映画の持つ得体の知れない執念のような熱に完全にやられてしまい、、、
結論から言います。大傑作です!
古くは「サンセット大通り」や「雨に唄えば」といった名作から、近年では大ヒット作「カメラを止めるな!」「ブリグズビー・ベア」とか数え切れないほどある「映画についての映画」ですが(個人的に近年で最高だったのはペドロ・アルモドバルの「ペイン・アンド・グローリー」)、やっぱり「映画」とか「物語」に魅了されてやまない人の物語は、どうしてもグッときてしまいますよね、、、
「ポンポさん」が特に焦点を当てているのは、映画制作における「編集」の作業。
ぶっちゃけパソコンのモニターに向かって、ひたすらあーでもない、こーでもないとしている地味な作業です(笑)
ただこの作業のおかげで、観ている人をドキドキさせたり、感動させたり、伝えたいメッセージをわかりやすく伝えることができるのです。
そんな編集作業が盛り上がりどころになっている本作ですが、劇中、映画プロデューサーであるポンポさんがジーン君に対して、「映画とはかくあるべし」という話をするシーンがあります。
「映画は女優を魅力的に撮れれば、それだけでOK」
「泣かせ映画で泣かせるより、おバカ映画で泣かせる方がかっこいいじゃない」
「観客に90分以上の集中力を求めるのは、現代の娯楽として易しくない」
「映画を生かすも殺すも、編集次第」
こんなセリフを劇中で言わせてしまったからには、この「『映画大好きポンポさん』という映画」自体がそうなっていないと、作品に対して誠実な姿勢とは言えないわけで、、、
原作にもあるセリフなのですが、僕はこのシーンを観た時に、この原作を映画化するハードルの高さを痛感したのでした(笑)
では本作はどうだったのかというところで。
本作の本編尺が90分に収まっているという部分も含めて、僕は見事にそのハードルを越えた、それどころか「現実の商業映画」として、pixivの原作にはなかった、より射程の長い目線を得ることに成功したと思っております!
後者の「より射程の長い目線」については後述いたしますが、まずはハードルを越えたという部分について。
先述した通り、この映画は「編集」に焦点を当てた作品ですので、非常にわかりやすくて楽しい編集のギミックが、特に前半部は目白押しになっております(笑)
シーンの切り替えに色んなトランジションが使われていたり、画面分割やワイプを入れてみたりと、一番わかりやすい”編集による効果”の部分ですね。
これがアニメ作品ということもあって、オモチャ箱的と言いますか、子どもでもスッと映画に引き込まれてしまうような楽しさ!
まぁ若干、「アニメアニメしすぎだろう!」という部分も無きにしも非ずですが、結構楽しく観れました(笑)
ただ、これは”アニメだから”すごいなと思った部分もありまして。
劇中映画のあるシーンで、少女が足元の泥をすくうシーンがあるのですが、ここが足元のアップという撮影になっておりまして。
右手か左手かで泥をすくう時に、反対の足が重心のズレによって外側に向くという表現があって、こういうところでアニメならではの“実在感”が表現されていたり。
あと、照明の当て方がすごい良くて。大事なシーン、強調したいシーンには、必ずの演出があるんですが、輪郭線に入る光だったり、カメラに映るハレーションだったり、光の演出がすごく特徴できて、それも「アニメ」である本作に実在感を与えていると感じました。
こういうのって「アニメ」だからこそ感動できる部分なんですよね。
で、特にその演出が素晴らしいのが、ヒロインのナタリーまわりのシーン。
雨の降る中、夜の街を走るナタリー。花火の光に照らされるナタリー。劇中映画で月の光に照らされるナタリー。
まぁ”女優を魅力的に撮れて”いるなと。(笑)
さて、「編集」という話に戻ると、先述した”わかりやすい編集”の他にも、ジーン君、ポンポさん、ナタリー、そして新キャラのアランの視点から物語を描く、いわば群像劇的な演出も、「編集」の醍醐味ですよね。
特に、ジーン君の初監督作品「MEISTER」の制作が決定するシーンまでは、編集の持つパズル的な面白さの表現として的確だったと思います。
そして一番びっくりしたのが、ジーン君が「MEISTER」の編集作業をするシーン。
映画における編集がどういうものであるか説明するシーンなのですが、さっきも言ったみたいに、それを説明しちゃうとこの映画自体がそうなってないか気になるんだよ!っいう(笑)
「まずは普通に繋いでみよう」と言って撮影した素材を、「ロング→ミドル→アップ」と繋いでいくのですが、「これじゃ普通すぎるから」といって「ロング→アップ」という繋ぎ方にするジーン君。
これによって、アップのショットがより強調されて、その人物の表情を観客に印象付けやすくなる、という説明をセリフと画面で見せてくれるという親切なシーンですが、こうやって観客の印象を誘導するために、編集はとても大事な作業であるわけです。
まぁこの箇所については「『MEISTER』のような風格のある作品なら普通に繋いだ方が良いのでは?」と感じなくもないのですが(面倒くさい映画ファン)、本作の編集を担当した今井剛さんのインタビューによると「新人監督のジーンならこういう繋ぎ方をすると思う」と書かれていて、「それもそうだね!」と納得するのでした(笑)
で、面白いのは後半、「MEISTER」の主人公とジーン君の状況が重なってくるパート。
先述したようなジーン君の繋ぎ方が、この「映画大好きポンポさん」という我々の観ている映画の繋ぎ方と一致してくるという!
「ロング→アップ」の繋ぎ方をしている劇中劇のシーンと、「ジーン君とポンポさんの会話のロング→ポンポさんのアップ」が重なってきて、これはいよいよ本作の持つメタな構造が強調されてきたぞ!となるわけです。
で、「MEISTER」の編集に悩みきったジーン君が最後にたどり着くのが、「映画の中に自分を見つけること」という映画を作る上でも、映画を観る上でも普遍的な真理でした。
これは「キャラクターへの感情移入」という意味ではなく、「その映画が自分の居場所である」という感覚や、「あ、自分がいた」と気づくような、言語化し辛いのですが、そういった感覚だと思います。
僕自身、観てきた映画の中で特に大事な作品はその感覚があったし、これは作り手もその感覚があるからこそ起こる現象で。
多かれ少なかれ、「映画という嘘」に惹きつけられる人はこういう感覚があるんじゃないでしょうか。だからこそ映画を好きになれるし、自分が救われるような気持ちになる。
そういった感覚が多くの人に共有できるように、脚本を書き、撮影をし、”編集”の末に出来上がるのが商業映画なわけです。
そういった意味で、原作はあくまで「モノを作る個人の物語」だったのに対して、本作は、「モノを作る個人の話」だけではなく、より射程の長い目線で「何かを諦めてしまった人たちの話」になっているということです。
「これ以上ない何か」に幼い頃に出会ってしまい、それが呪いになった人。
確固たる地位を築いてしまい、その後の人生に張り合いがなくなった人。
何者でもない自分に疲れて、社会に飲み込まれた人。
映画化に際し、ポンポさんの過去が描かれたり、新キャラのアランを登場させたことによって、そんな人たちにも届く、そんな人たちにも勇気を与えてくれる物語に生まれ変わったように感じました。特にアランについては、多くの人が共感できるキャラクターになっていたと思います。
「何かを諦めてしまった人」に「もう一度何かを信じたい」と思わせられる。
それが「映画」なんだと僕は思います。
そのブラッシュアップの仕方に超感動させられたし、商業映画として非常に誠実だとも思ったのですが、同時に、もしかしたら僕が一番胸を打たれたのは、それでも本作が「モノを作る個人の物語」であるという点なのかもなと。
この記事で言及している本作のメタ構造は、観客が「メタ構造だ!」って言って楽しむためのものではなく、監督・脚本・絵コンテを担当している平尾監督が「これが俺の映画だ!」と、信念を貫いた結果のものだと思うんですね。
僕がクライマックスに当たるジーン君の編集作業シーンに心底やられたのは、その挑戦と勇気、そして自分の中に若干の嫉妬と羨望を感じたからなんだと思います。
正直に言うと劇中でポンポさんが言う「幸福は創造の敵」という価値観には疑問があります。
満たされた人はものの考え方が浅くなるとも思わないし、満たされてない人のほうが創造的だとも思いません。今は"クリエイター"も社会から切り離せないから。
MCU映画の支持のされ方とか、フィンチャーの「マンク」、ルカ・グァダニーノの「僕らのままで」など、優れた監督たちが長尺でハイコンテクストな作品を作っている現在、「観客に90分以上の集中力を求めるのは、現代の娯楽として易しくない」というのも古い映画観なんだと思います。
でもね、それでも「映画は女優を魅力的に撮れてればOK」だし、「おバカ映画で感動させるほうがかっこいい」し、わかりやすくて90分で終わることは美しいんですよ!!
そしてそのために「本当に俺が作りたいものはこれか?」と自問自答しながら、登場人物たちの人生を作り、彩り、そして取捨選択していく、映画製作に携わる人たちは本当にかっこいいんです。
ずいぶん乱暴な物言いで「格言風」な文章を書いてしまったのですが、これもこの映画の熱にあてられてしまったからだということにしておきます(笑)
さんざっぱら褒めといてアレですが、音楽の使い方がなんか微妙とか、やっぱり"映画"と"アニメ映画"だと作り方違うなーと、面倒臭い小言もあったりします(笑)
なので、手放しで「よく出来た映画だ!」と褒めることはできないんですが、それでもこの映画が大好きだし、個人的には大傑作と言いたい!そんな作品でした!
久しぶりの映画館でこの映画を観れて本当に良かった!
ぜひ劇場でご覧ください!