『デッド・ドント・ダイ』〜映画感想文〜
※この記事はちょっとだけネタバレしています
『デッド・ドント・ダイ』(2020)
上映時間 104分
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
鬼才ジム・ジャームッシュがビル・マーレイとアダム・ドライバーを主演にメガホンをとったゾンビコメディ。アメリカの田舎町センターヴィルにある警察署に勤務するロバートソン署長とピーターソン巡査、モリソン巡査は、他愛のない住人のトラブルの対応に日々追われていた。しかし、ダイナーで起こった変死事件から事態は一変。墓場から死者が次々とよみがえり、ゾンビが町にあふれかえってしまう。3人は日本刀を片手に救世主のごとく現れた葬儀屋のゼルダとともにゾンビたちと対峙していくが……。ジャームッシュ作品常連のマーレイ、「パターソン」に続きジャームッシュ組参加となるドライバーのほか、ティルダ・スウィントン、クロエ・セビニー、スティーブ・ブシェーミ、トム・ウェイツ、セレーナ・ゴメス、ダニー・クローバー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、イギー・ポップらが顔をそろえる。2019年・第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。(以上、映画.comより)
予告編
Kill the head!!
ジャームッシュ節炸裂の脱力ゾンビコメディ!
だが、よく考えると怖ろしい作品。
緊急事態宣言が解除され、映画館がようやく再開しましたが、その一発目としてこの作品を選びました。ゾンビ映画だし、ジャームッシュだし楽しい気分になれるかなと思い(笑)
久々の劇場は、1席ずつ空席をとらないといけない中でも、結構な入り具合でした。
コメディ映画ですので、ところどころ笑いも漏れたりして、やっぱり大勢で映画を見るのは楽しいなと。
で、笑えるゾンビ映画といえば、「ショーン・オブ・ザ・デッド」であるとか「ゾンビランド」とか。昨年にも「アナと世界の終わり」というキュートな作品があったりしますが、こういった作品とはテイストの違う笑いの作品ではあります。
「オフビート」という言葉をジャームッシュ作品に使うのも恥ずかしいぐらい、オフビートコメディの代名詞的な監督です。
僕は「コーヒー&シガレッツ」から入り「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」、「パターソン」と、それほど観ていないのですが、どれも脱力感が心地いい作品だと感じました。
で、今作も例にもれず、脱力感のあるコメディです。
普通、ゾンビ映画といえばなにかしら緊張感が伴うものですが、本作は緊張する手前で緩めてくる絶妙な塩梅です。
そもそもキャスティングからして絶妙。
主人公の警官トリオである、クリフ、ロニー、ミンディを演じるビル・マーレイ、アダム・ドライバー、クロエ・セヴェニー全員無表情気味の演技をする俳優です。(デッドバン演技というらしいです)
まぁこの3人が立ってるだけで面白いこと!(笑)
居心地の悪そうな無表情がバストショットで映るだけで面白い!
「うわーゾンビいっぱいじゃん」の様子
ゾンビの第一被害者が発見され、警官トリオが現場に行くのですが、ここ全員で一緒に確認すれば話運びもスムーズなのに、わざわざ別々に到着。現場の惨状を見てショックを受けて戻ってくるというシーンを反復するんですね。
この“テンドンギャグ”にクスッとくるのですが、この「反復」がジャームッシュの十八番の手法で独特のテンポを醸し出していると思います。
また、アダム・ドライバーがしきりに「悪い結末になりそうだ」と、自身の出世作「スターウォーズ」を連想させるセリフを繰り返したり、クリフがパトカーの中で聞いた曲(「デッド・ドント・ダイ」という曲!)に「聞いたことある曲だ」というと、「(本作の)テーマ曲だから」と答えるなど、これが映画だとわかっているようなギャグをぶっこんだりしてきて、なんとも言えない可笑しさがあります(笑)。(これについては後述します)
あと、デッドバン演技といえば謎の葬儀屋、ゼルダを演じるティルダ・スウィントン。
ビジュアルのシュールさもさることながら、本当に何考えてるのかわからない(笑)
金の仏を拝む葬儀屋のファイティングポーズ
この人たちが、いざゾンビを前にしても全くマイペースを崩さないもんだから、怖がりたくても怖がれないという具合に話が進んでいきます(ただし、ミンディだけヒステリック気味になるところも可笑しい)
他にもクセの強い登場人物がたくさん出てくるのですが、何しろいいのがケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じる、雑貨屋を営むホラーオタク店長のボブ!
「吸血鬼ノスフェラトゥ」のTシャツ着てるのもいいんです!
っていうかケイレブはどの作品でも素晴らしいのですが、ホラーオタクの冴えないやつってだけでめちゃめちゃ親近感(笑)
彼がお客として来たイケてる女子ゾーイ(セレーナ・ゴメス)にオタク話をわかってもらって嬉しいみたいなシーンも可愛いし、ホラー映画知識をフル稼働してゾンビの襲撃に備えるところもキュート!!
今作のヒロインは彼です!(暴論)
で、やっぱり本作はゾンビ映画ですので、魅力的で大変キュートなゾンビがたくさん出て来ます!
イギー・ポップとサラ・ドライバー演じるコーヒーゾンビ、蘇ったそばから「シャルドネー」と生前好きだったワインを呟くシャルドネゾンビ(マロリー・オブライエン)、モデル志望だったのかしきりに服装を気にしているおしゃれゾンビなどなど、、、
コーヒーをポットのままテイクアウトする(しかも2つ!)ゾンビ
特にツボに入ったのが、スマホを手に持ちながらヨロヨロと「wi-fi〜、wi-fi〜」と連呼するワイファイゾンビ(笑)
こういう、生前の好きだったものや、思い入れのある場所に執着するゾンビ像ってまんま「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ゾンビ」を撮り、モダンゾンビを確率したジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ像なんですね。
本作は、至る所にロメロ監督へのオマージュが散りばめられています。
先述したゾンビ像はもちろん、集まってくるゾンビの撮り方も「ゾンビ」にそっくり。
ゾーイの車が「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」に出てきたのと同じ車で、わざわざ「クラシックだよ」と言わせたり。
これは完全に、ロメロへが作ったゾンビへの敬意とそこへの回帰を意図したものだと思われます。
では、なぜジャームッシュはわざわざロメロゾンビへの回帰をこれほど主張するのか。
これは、ジャームッシュがかなり政治的な意図をもって本作を作り上げているからだと思います。
ロメロは「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で人種間の軋轢を(本人は意図がなかったようですが)描き、「ゾンビ」では大量消費社会を風刺していました。ゾンビが生前の記憶を頼りにショッピングモールに集まるのは、そんな当時の人たちを“ゾンビ”として描いたからです。
本作でも、白人至上主義の男性の描写や、wi-fiゾンビはそのイズムを継承しているように見えます。
また、そもそも本作のゾンビの発生などの超常現象の原因は、大企業の資源採掘によって地軸が傾いてしまったという事件があります。
大量消費社会がエスカレートし、それに飼いならされた人間がゾンビと化す。
それを招いた側の資本家は、地軸を傾けてまで、このサイクルを回し、さらにゾンビを増やしていく。
これらは、ロメロが映画を通して40年以上前に警鐘を鳴らしていたのですが、本作はなんとラストにナレーションでもって説明まで入れてしまう!
ジャームッシュがこういった、テーマの説明をセリフで入れるなんてことは珍しいのですが、僕は監督が、「ロメロが警鐘を鳴らしてから、我々の意識は変わったのだろうか」と、もはや説明しなきゃいけないという強い表明だと感じました。
クライマックス、いよいよ警官3人もやばくなり、戦おうとするところで、先述したロニーがしきりにつぶやく「最悪の結末になりそうだ」というセリフや、「テーマ曲だから」の思わぬ伏線回収があります。
が、伏線が回収されないのが、ジャームッシュ。回収されても物語にそんなに影響しないのがジャームッシュ
めっちゃ強そうだったゼルダのびっくりする退場劇、ロニーのメタ発言が持つ”客観的”っぽさ、登場人物の無表情。
すべてが、この状況に対する“無関心”の表現だと僕は感じました。
思えば冒頭、普通は町の地理を説明するために使われる、舞台になる場所のショットの連なりも、どこか散漫で、地理が掴めないように見えたのも、同じ町に住んでるのにどこかバラバラな私たちということなのかもしれません。
リアルな「終末」というのは、何か劇的なことではなくて、ジャームッシュ映画のような、一見してお気楽で悠長な雰囲気の中で、じわじわとやってくるものなのかもしれません。
そういうことが、特に今、よりリアルに感じられるようにも思います。
そんな感じで、気候変動、人種問題、大量消費社会など、現代批評性の強い作品ですが、基本的にはコメディですし、俳優陣が本当にいいので、すごく楽しめる一作なのは間違いなしです!
コロナ禍でようやく映画館が開いた今、映画館にわらわらと集まってくる「映画ゾンビ」に皆さんもなっていただきたいので、ぜひ映画館で鑑賞してください!(笑)